「毛澤西」(邱永漢)

「自由」というのは、本来このようなこと

「毛澤西」(邱永漢)
(「日本文学100年の名作第5巻」)
 新潮文庫

1950年代の香港。
フェリー・ボートから降りる
客相手の新聞売りたちの多くは
無許可営業であり、
取り締まりの対象となっていた。
警官たちに摘発された中に、
新聞売りらしからぬ大男がいて、
彼は裁判で自らを
「毛澤西」と名乗り…。

毛澤西とはもちろん偽名です。
当時、大陸側で次第に
隆盛を極めていった共産党指導者の名を
もじって答えただけなのです。
それでもそれで通ってしまうあたりが
時代なのでしょう。
本作品には、毛澤西が警察に
摘発されては釈放されるまでの件が
繰り返し描かれています。

一度目の裁判官は、
その偽名におかしみを感じながらも
罰金刑で処理しています。
「法の威厳を示すために老裁判官は
 鹿爪らしい声を出したが、
 全然ユーモアと無縁の男では
 なかったから、
 笑いをかみつぶすのに
 一苦労している様子である」

二度目の裁判官は、適当にあしらい、
このときも罰金刑です。
そして三度目の裁判官は、
度々捕まる毛澤西に
親近感を感じたのか、
新聞売りの登録の申請を代行し、
彼にライセンスが降りるように
手配するのです。
ところがそれから
最後の2頁が傑作です。
相棒の少年とのやりとりです。
「小父さん、この頃、
 莫迦に元気がなくなったね」
「畜生、こいつのおかげだ」
「やにわにそれをつかまえて
 力任せに引っ張ると、
 ブスンと音を立てて紐が切れた」

彼はその許可証を自ら捨て去るのです。

「自由」というのは、本来
このようなことなのかもしれません。
体制に迎合しない。
大きなものの庇護の下にいるのを
よしとしない。
自らの身は自らなんとかする。
彼にとっては
許可証のもとで商売をするよりも、
警官に追われながら
好きなことをしていることの方が
合っていたのでしょう。
貧しさから抜け出すのは
容易ではないのかもしれませんが、
少なくとも
「生きにくさ」は感じられません。
そして警官も裁判所も、
きわめて大らかです。

さて、それから70年。
現在の香港にはそのような面影は
全くなくなってしまったのでしょう。
大陸から押し寄せてきた
強大な「閉塞感」が、香港全域を
覆ってしまったかのようです。
本作品も、古き良き時代の
産物となってしまいました。

※昨今は、ミャンマー、
 そしてアフガニスタンと、
 香港以上に抑圧された地域の
 ニュースばかりが飛び込んできます。
 香港情勢が私たちの
 目に付きにくくなり、
 香港に対する日本人の関心が
 薄れることが心配です。

※作者・邱永漢の著作を検索すると、
 経営学の本ばかりが出てきます。
 この方、実は
 経営コンサルタントや
 経済評論家としての活動の方が
 主となっているようです。
 経営で成功されている方が、
 こうした経済効率に
 背を向けた人間を主人公とする
 作品を書き上げていることに、
 驚きを禁じ得ません。

(2021.10.16)

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